年末に考えていた愚かなこと

かつての自分は無力感に苛まれることが多くありました。
今でもそうですが、だいぶ許せるようになりました。

以下の内容は自分でも読んでいてしんどい内容で、お見せできるものでもないんですが、こういう愚かしいことを考える自分も許してやろうってことで。

以前はとにかく人のために自分ができることを、と思い続けて、それがその人にとって幸せにつながらなかったり、もっといい思いをさせてあげられたと感じたりしたときに後悔するとともに自分を責めていました。無力感と虚脱感。達成感はほとんどなく「自分は何もしていない」と思うばかりでした。
それこそ傲慢で、自分が人に何かできるなんていうこと自体が奢っているとも思うのですが、それでももっと関わってできることがあったのではないかと考えるのでした。
例えば試合の後はたいてい、そういう気持ちでいっぱいになり、子どもたちや保護者の方には感謝をするとともに、「指導するのが自分でなければ、もっと素晴らしい指導者がついていれば、この子たちはもっと良い結果を得られたかもしれない」と考えてしまうのでした。発表会の後にも本当にこれでよかったの?と思うばかりでした。実際失敗していることも多くあって、そういう思いに拍車をかけるというか、「ほら、やっぱりダメでしょ?」と証拠を集めてしまっていました。
一方でたくさんの笑顔が見られたことも知ってるのに。

でも、結局自分には何もできない、つまらない小さな人間だと思い詰めることが、人に対してもやさしくないということに気付き始めました。私のことを仮に愛してくれる方がいるとするなら、その人が愛してくれる私という人間を「小さなつまらない人間」を愛する人がその方ということに。体操に通ってくれてる子たちを「つまらない人のところで教わってる子」としてみるわけですから。

でも、こうして考えると結局それも私自身の身を守る言い訳でしかないと気づきます。子どもたちが困っていることに対して解決できなかった場合、「ほら、どうせ私が指導者なんだから。」というふうに。

 

 

精一杯やったんならいいじゃない。・・・ねえ?

できないことを数えだしたらきりがないですものね。

でも、比べちゃうんだなあ。ちょっと忘れると。